世に棲む日々

目次

奇形について 

経験則的レンタルビデオ(DVD)の選び方と鑑賞法

結婚式の思い出

初取材

ホラー映画の見方

徒競走必勝法

タイムカプセル

演技について

21世紀について

楽器の演奏について

丸い空

フレンチ・コネクション2を観て

礼文島物語 その1

撮影物語 その1 
撮影物語 その2

北朝鮮渡航記 その1 
北朝鮮渡航記 その2
 
北朝鮮渡航記 その3
 
北朝鮮渡航記 その4
 
北朝鮮渡航記 その5



奇形について

 今回はちょっとした思い出を書く。
 人には誰でも一カ所の奇形的部分があるという。
 私の場合は鎖骨である。首の付け根前部分から肩へ沿って伸びてゆく骨だが、私の場合は肩の付け根部分でぽっこりと上の方へ出っ張っているのである。だから肩で物を担ぐとその部分に当たってなんとも痛い。
 これが奇形だと発覚したのは小学生の時の運動会だった。二人で江戸時代に使われるような駕籠を担いで一人を乗せて走るというリレーをやったのだが、角材部分を担いだ肩が痛くてしょうがない。
 級友に、「骨が当たっていたいよねー」と話したら、
「そんな骨なんてねえぞ」と言い返された。
 そこでそう言った級友の肩に触らせてもらったら確かに出っ張った骨など無い。他の級友に理由を話して触らせてもらったところ、やはり無かった。出っ張った骨を持っているのはクラスの男子で私一人だけだった。
 生まれて初めて「人とは違う」という事実を知った時、私は何とも言いようのないショックを受けた。これが「どんなピッチャーの投げる球でもセンター前にはじき返せる」とか「絶対音感を持っていて一度聴いた音楽をすぐに楽譜に書き起こせる」のような正の領域なら自慢になるのだろうが、「鎖骨の肩の部分が出っ張っている」は明らかに負の領域である。
 その事実を知ったその日一日、私は胃袋に砂をつめたような気分だった。
 それ以来その出来事を思い出すたびに、知り合いにわけを話して鎖骨を触らせてもらった。しかし、鎖骨が出っ張った人間は中学、高校、短大にはいなかった。アルバイト先にも就職先にもいなかった。
 やはり私一人なのだろうか。なにかのおりに物を肩に担ぐたび鎖骨のことが思い出され、私は言いしれぬ孤独感を味わっていた。
 数年前、旅の途中に立ち寄った神戸の弟宅で夕食をとっていたときに、思い出話の流れから例の鎖骨の話をした。
 すると弟は私を見つめて真顔で言った。
「兄さん。俺もだ」


経験則的レンタルビデオ(DVD)の選び方と鑑賞法

 世の中にはそれこそ膨大な量の映画が存在し、レンタルされている。いったいどれを見たらいいのだろう?
 そんなアナタに朗報!
 その昔友人たちと考えた経験則的レンタルビデオ(DVD)の選び方と鑑賞法。ただし、アナタにとって全く知名度のない見たことも聞いたこともない映画を借りる場合に適用する方法です。

一、パッケージ表が女性の裸の場合は物語的に無内容なので借りない。裸が目的の場合はこの限りではない。

二、パッケージの裏を見て好みの監督や脚本家の場合は借りる。

三、スポーツものは定番の話が多いのでアタリはともかく比較的ハズレが少ない。くされチームが何かをきっかけに成長し大活躍するっていうおなじみのパターンです。あと時限爆弾ものもハズレが少ない。タイムリミットまであと○分! みたいなやつね。アイドルものはアタリハズレが大きいのでギャンブルしてください。ホラーは怖いので私は観ません。

四、パート2ものは1をすでに観ていて好みなら借りる。ただし、1を超える2に出会うことはまれ。

五、尺が2時間9分から2時間の場合は借りる。1時間50分台と2時間10分を超える場合は借りない。
 理由は、映画を劇場にかける際に観客の回転数を上げるため長い映画は好まれないので、プロデューサーは上映時間をなんとか2時間におさめようとするのではなかろうか。編集者はその要請に従って膨大な素材のフィルムをカッティングする。切って切って切りまくりなんとか2時間半ぐらいにまとめたとする。するとプロデューサーは、「困るんだよ、2時間じゃないとさあ。でないと小屋に売れないんだよ」なんてことを言う。しょうがないので編集者はまたフィルムを切り始める。で、2時間4分になったとする。プロデューサーは、「まだ4分多いじゃない。もうちょっと切れないの?」なんてことを言うが、編集者は、「もうこれ以上切ると話の内容が分からなくなりますよ! これが物語の分かる限界です! テンポだっていいじゃないですか!!」とちょっとキレたふりをして言ったりする。プロデューサーはその強い口調に気圧されて、「じゃあしょうがないなあ。これでO.K.にしよう。ありがとう○ちゃん。今度酒でもおごるからね」と笑いながら去ってゆく。今度の酒は忘れられてしまう。
 というようなことがあったりして、密度の濃い映画になっている可能性があるからだ。だから借りてみる。
 1時間50分台の場合は、
「出来ました」
「ちょっと、1時間40分しかないじゃない」
「でもこれがベストだと思いますよ。話に無理がないしテンポもいい」
「あのねえ。この映画(シャシン)すごい金がかかってるのよ。大作なの。2時間はないと困るんだよなあ」
「……。じゃあ、やってみます」
 で、1時間50分台になって、
「もっと伸びないの?」
「これ以上伸ばすとはなしがグダグダですよ! ただでもテンポ悪いのに!」
「……。しょうがないこれでO.K.にしよう。ありがとう○ちゃん。今度飯でも食いに行こう」
 で、今度の飯は忘れられてしまう。
 2時間10分を越える場合は。
「何とか2時間にしてみました」
「○ちゃん、あのシーンはどうしたの?」
「テンポが悪くなるし、話としては意味がないので切りました」
「困るなあ。あのシーンを作るのにどれだけ金がかかったと思ってるの。足しておいてね。じゃ」
 今度は酒も飯もなしである。当然編集者はやる気をなくす。
 と、こんなことがあったりするのではないか。
 ちなみに私の経験では1時間40分前後にも結構アタリがある場合が多い。

六、借りたDVDを見始めて5分経ってもピンと来るものがなかったらそこで観るのをやめる。だって、どうせ全く知名度のない見たことも聞いたこともない映画だもの。たぶんその映画はアナタにとってハズレです。観るだけ時間の無駄なのでさっさとDVDをデッキから取り出して、次のDVDを入れましょう。ただし、その映画が実はラストにどんでん返しがあったりする名作かもしれませんが、当方はそこまで責任は負えません。


結婚式の思い出

 私は結婚式にあまり良い思い出はない。これは後輩に先を越されて悔しいとか、弟に先を越されて悔しいというものではなく、スピーチの話である。
 私はシャイで口べたである。
 何をぬかすかという声が聞こえてきそうだが、これは真実である。
 お前は人を束ねる監督という仕事をやり、あまつさえインターネットラジオ「ラジオネレイス」「うらけん」でさんざん喋っていたではないかという意見もあるだろうが事実である。特に初対面の人物や不特定多数の前では「あうあう君」になってしまうのだ。
 監督をやる場合、これは仕事なのでがんばって話します。でないと仕事にならないから。
 スタッフとの打ち合わせは割と知り合いがいたりするので結構何とかなったりする。
 一番緊張するのは、第1話のアフレコ時に役者さんの前でする挨拶。
 録音監督さんが、「こちらが監督の池端さんです」、などと紹介してくださった後に、役者さんたちの前に立つ。この時一斉に視線が注がれるのだが、これがダメだ。人前に立つのになれていないので恐ろしく緊張する。今思い出しても汗が出る。
「初めまして。池端です(以下略)」と、喋る自分の声が震えるのが分かる。分かるとなおさら緊張する。緊張すると声が震えるの悪循環に陥り、頭の中は真っ白で何を喋ったかなんて覚えていない。
 これが打ち上げの挨拶になるともっと人が多いのでグダグダになってしまう。
 インターネットラジオの場合はこの「不特定多数の視線」が無いだけ楽なのだ。それでも第一声は震えてましたが。
 「ラジオネレイス」では岩田光央さん、中原麻衣さんのリードがあったし、「うらけん」ではなじみのUpliftさんと小林治さんが相方だったのでそれほど緊張しなかっただけ。
 とにかく俺は「不特定多数の視線」がダメなのよ。
 えーと、何の話だったっけ……。そうそう、結婚式のスピーチ。
 ある日のこと、ある作品で作監をやっていただいたある方から結婚式の招待を受けたわけ。私が、「おめでとう。ぜひ行かさせてもらいます」と言ったら、「スピーチをやってくれ」って言うのよ。俺は「あうあう君」である理由を説明してスピーチを断ったわけ。そうしたら、「じゃあ、友人代表として歌ってください」なんて言うのよ。もう断るわけにいかなくてね。O.K.しちゃったのよ。歌ならスピーチと違って文句を考えることもないし、歌詞通りに歌えばそれで終わりだから。で、色々考えて曲を決めたのね。「幸せなら手をたたこう」って歌。知ってるでしょ、有名だから。坂本九の名曲ですよ。結婚式むきだしね。
 で、当日になったと思いねえ。
 色々な方のスピーチが終わってとうとう歌のコーナーが来たわけよ。歌うのは新婦側3組、新郎側3組。俺はとっとと歌って早く終わりにしたいわけ。でも最初は新婦側の方が紹介されて歌い始めた。どうやら新婦側の次に新郎側が出て、次にまた新婦側みたいなのね。ここでなんとなく嫌な予感がしたのよ。次に歌った新郎側は俺じゃなかった。ああ、何かやばい臭いがする、まさかー。そう、結局俺は最後。「とり」ですよ「大とり」
 司会の兄ちゃんはノリノリで、
「さあ、いよいよ最後になりました。新郎の友人代表でございます、池端様よろしくお願いいたします」
 節までついた紹介と同時に、拍手がおこって一斉に全員がこちらを向き、俺に「不特定多数の視線」が注がれる。もう真っ白ですよ。純白。ホワイトアウト。
「歌はみなさまおなじみの、幸せなら手をたたこう。さあどうぞ!」
 司会の兄ちゃんのコールにエレクトーンの姉ちゃんが軽快なイントロを演奏し始める。
 えーい、行ったれ! 俺は覚悟を決めて歌い出しました。
「幸せなら手をたたこー」
 でも次に当然来るはずのパンパンという拍手の音がしない。出席者は顔を見合わせながら、互いの出方をうかがってやんの。だれか一人が手をたたけば、ワタシも手をたたこう。でもワタシが最初なのははずかしいから嫌、って感じだ。
 今一番恥ずかしいのは俺だー!
 でも、続きを歌う。頼むぜみんな!
「幸せなら手をたたこー」
 やっぱり誰も手をたたかない。お願いだ、叩いてくれ。誰か助けてくれ。そうだあいつは、と新郎にすがるような眼差しを向けたら、新婦と一緒になって笑っていやがんの。てめー、めでたい席だが地獄に堕ちろ! と思ったね。ホントに。
 だが、地獄に堕ちたのは俺の方だった。
 ええ、歌いましたよ最後まで。もちろん全員が苦笑いしたまま無反応でしたよ。


初取材

「明日は取材が入りますのでよろしくお願いします」
 そう制作さんに言われたのは初監督をやったOVA『HappyWorld!』第1話アフレコの前日だった。
 確か2002年の秋だったと思う。
 取材を受けるのは初めてのことだったのでそりゃあ気合いが入りましたよ。仕事中も上の空で取材の想定問答なんぞを頭の中で反芻したりなんかして。
 ああ聞かれたらこう答えよう。こんなことを聞かれたらちょっとボケをかまして軽い笑いをとったりなんかしちゃったりして、なんて考えてた。
 まあ初監督とはいえ歳が歳なので青臭くなく基本的には真面目に受け答えをして、時には大人としてウイットに富んだジョークとユーモアをさらっとふりかけよう、ということで自分の中でまとまった。
 家に帰ってからも布団の中で想定問答の予習をしました。やり残した仕事そっちのけで。だから翌朝には、もうどんな質問をされても大丈夫なくらいになっていた。少し睡眠不足になってましたが。
 で、アフレコに出かけました。場所は知っている人は知っている五反田の向こうの○○銀座。遠いんだここは。私の家からだと2時間近くかかっちゃう。
 スタジオにやっとたどり着くと制作さんがやってきて、取材はアフレコの中休み、つまりAパートとBパートの間で行われると教えてくれた。
 アフレコ作業が粛々と行われる中、取材のことを考えた私の胃は緊張でずきずきと痛む。時計の針はどんどんと進み心臓はどきどきと脈打つ。
 で、Aパートのアフレコが終わった。
 廊下に続く出入り口のドアが開けられ、担当さんが、
「取材が入りまーす。役者さんと竹下先生はロビーに集合お願いしまーす」
 声に促されて役者さんたちと原作の竹下先生はロビーへと向かう。おー、主演で初アフレコの花村怜美(さとみ)さんと竹下先生は緊張しているみたいだ。歩きが堅いぞ。
 他人が緊張しているのをみるとこっちは少し安心する。
 部屋に残った私はソファーに腰かけて夕べ繰り返した想定問答を何度も頭の中で復習する。うむ完璧だ。覚悟を決めて腹も据わりました。どんな質問でもどんと来いってな気分です。
 いいタイミングで役者さんたちと竹下先生が帰ってきた。
「よっしゃあ!」
 私が心の中で気合いを入れてソファーから立ちあがったら、録音監督の飯塚さんが、
「それじゃあ、Bパート始めまーす」


ホラー映画の見方

本日の話題はノウハウシリーズ第2弾ホラー映画の見方についてである。ただしホラー好きのためのノウハウではなく、怖いもの大嫌い人間用のノウハウである。
 怖いのだったら観なきゃいいじゃんという当たり前の声は無視する。大人の世界では観たくなくても観なきゃならないことがままあるのだ。友達とのつきあいとかあるでしょ。私の場合は演出という仕事柄勉強のために観たりするわけよ。
 さてそれでは準備編。

一、一人で観ない。必ず二人以上で観る。
二、昼間に観る。夜は観ない。できれば夕方も避ける。なぜなら見終わった頃に日が暮れているから。
三、DVDを見る場合は部屋を明るくする。できればあらゆる場所の明かりをつけっぱなしにする。
四、トイレには行っておく。映画の途中に抜けると何かに祟られそうだから。
五、できれば音を消す。それがダメなら音を絞る。

 さあ、準備は出来ましたか。
 それでは実践編。

一、怖いシーンの直撃を避ける。出そうだなあと感じたら画面から目をそらす。ただし、そらしっぱなしにしないこと。音だけの方が想像力豊かなホラー嫌いには怖いから。音だけ聞いているより、まだ耳をふさいで観た方がまし。
二、出そうなシーンは友人に話しかける。会話をしているとそれほど怖くない。頻繁に話しかけて友人に怒られても当方は関知しない。
三、フェイントに引っかからないようにする。たとえば、何か出そうだなあと思っていたら大きな物音がしてギクリとなる。物音は猫が何かをひっくり返した音だった。何だ猫かー、と安心したら横からグワーッ! みたいなシーンね。だからホッとした後が一番危ない。本当に危ない。
 他にも応用編として危ないシチュエーションは、
一、洗面所の洗面道具入れのふたの鏡が開いている場合。
 これは鏡を閉めると後ろに誰かが立っているのが見えたりする。
二、嵐の夜。登場人物の横が妙にあいているレイアウトの場合。あいている場所がカーテンを閉めた窓の場合は危ない。
 これは稲光でカーテンにモンスターや殺人鬼の影がでかでかと映るから。
三、行ってはいけないと言われている屋敷に無軌道な若者が踏み込んだ場合、一人をのぞいて皆死ぬ。
四、セックスシーンがある場合。やっている最中に二人まとめて刃物で串刺しになる。
五、登場人物が屋敷の二階に逃げるとこいつは死ぬ。
六、みんな一人では動かないようにと言われた登場人物たちのうち、二人で行動するやつらはなぜか死ぬ。
七、犬と美少女と子供は死なない。
八、何にでも例外はある。
九、ラストに一発くるのがあるので最後まで気を抜かない。


徒競走必勝法 (この記事は2005年6月26日のBlogに掲載されました)

 本日のお題は徒競走必勝法。
 なぜこの季節に徒競走なのか? 運動会の季節は秋だろう、という疑問には後でお答えします。
 さて、この必勝法は足の速い方には当たり前のことですが必要ありません。普通に勝負してください。
 俺は(ワタシは)足が遅い。今まで一度も徒競走に勝ったことがない。一度でいいからトップでゴールテープを切ってみたい。そういう方にお送りする必勝法です。
 ただし条件があります。この必勝法はとても卑怯です。勝ったとしても後ろ指をさされるかもしれません。それでもいい。ぜひ勝ちたいという方にのみお薦めします。
 さて、この必勝法にはさらに条件があります。セパレートコースでは使えません。セパレートコースというのはそれぞれの走るレーンがわかれているやつね。8人いたら8コースあるという。こういうコースでは使えません。それから直線だけでカーブのないコース。これもダメです。じゃあどんなコースなら使えるのかというと、運動会にありがちな狭いグランドにトラックをつくったやつ。スタートしてすぐカーブにはいちゃうやつ。こういうコースにしか使えない。で、オープンコースね。オープンコースって言うのは、スタートしたらどこを走ってもいいというやつ。こういうコースに威力を発揮します。
 さて、ここでやっと必勝法の解説です。すごく科学的です。なにせ実践に裏付けされていますから。
 まず、ポイントを三つに分けます。
 一つめはスタート前。続いてスタートダッシュ。最後はコーナーリングです。ね、何だか科学的っぽいでしょう。徒競走を三つのファクターに分割して考えるなんて。
 では続けます。

 まず最初はスタート前。
 アナタはトラックの中でこれから走る人たちとスタートを待っています。
 ここで漫然と時を過ごしてはいけません。勝負はすでに始まっているのです。では何をすればいいのでしょうか?
 アナタがしなければならないのは、スタートのタイミングを計ることです。
 運動会の徒競走では何組ものレースが次々と行われていきます。もしアナタの組の出走順が後ろの場合はスターターの癖をつかんでおきましょう。
 心の中で数を数えて、「よーい」から「ドン」までの間隔を計るのです。この時普通に「いーち、にー、さーん」と数えてはいけません。普段の三倍くらいのスピードで「一、二、三」と数えてください。多分、「五」くらいでピストルが「ドン」となるはずです。

 さあ、いよいよスタートです。
 徒競走ではここが最大の勝負所です。ここで誰よりも早くスタートしない限りアナタに勝機はありません。
 ではどうやって誰よりも早くスタートすればよいのか。はい。アナタはすでにスターターの癖を完全につかんでいるはずです。
「よーい」の声がかかったら、心の中で数を数えましょう。いよいよスタートダッシュです。
 ここで問題を出します。アナタはどのタイミングでダッシュしますか?
 仮に「五」で「ドン」と鳴るのであれば、心の中で数えた数が「五」になった時でしょうか?
 はい、「五」でダッシュするのは間違いです。それでは遅すぎます。「四」でスタートしちゃいましょう。ピストルが鳴る前に走り出してしまえば、かつてのベン・ジョンソンにだってスタートでは負けることがないでしょう。
 おいおい、それじゃあフライングだろうと言う声が聞こえてきそうですが、はい、フライングです。
 でも立ち止まってはいけません、そのままコーナーに向かって突っ込んでいってください。もし、スターターがフライングと判定すればアナタはどこかで止められるはずです。しかし、運動会レベルで厳密にフライングをとるスターターはまずいません。運動会に陸連から派遣されてくるような本格的なスターターがいる確率は限りなく0に近いです。たぶん体育教師が面倒くさそうにピストルを鳴らしているはずですからフライングなんかとりゃあしません。さらに言うなら、運動会では他にもまだまだ走らなければならない組がいっぱいあるのです。どんどん進行させていかないとプログラムが滞ってしまうのです。アナタはこの隙を狙うのです。
 ね、卑怯でしょう。でも道義的道徳的に問題があったとしても合法的なのです。
 たとえ観客がフライングだと思っても審判が流した場合はフライングではありません。先日のコンフェデ杯のブラジル戦の前半で加持のシュートをオフサイドと判定されました。そりゃねーだろと誰もが思ったはずですが、審判は絶対なのです。繰り返します。審判の判断は絶対です。
 ああ、そうそう。くれぐれも「三」のタイミングでスタートしないでください。あまりにも早く飛び出すと、さすがに止められてしまいます。「ドン」と鳴る直前にスタートするようにしてください。

 いよいよコーナーワークです。
 アナタは誰よりも早くコーナーに飛び込んでいるはずです。ここでの注意はコーナーぎりぎりを走らないということです。必ず自分の左側(インコース)に半人分の隙間を空けて走りましょう。
 コーナーぎりぎりを走った方が距離が短く効率的なのではないかとの疑問がわいてくるでしょうが、そう考えるのは徒競走の素人です。
 なぜ左側に半人分の隙間を空けているのかというと、後ろのランナーの心理を考えているからです。
 アナタの後ろのランナーはその隙間をつこうとしてくるはずです。なぜなら外側から抜くより効率的だからです。これが罠です。
 アナタは左後ろにランナーの気配を感じたら、すかさずそのコースに身体を寄せてふたをするのです。ぶっちゃけて言うと走路妨害です。でも前述した通り反則をとられることはまず無いでしょう。
 でもここで安心してはいけません。コースをふさがれたランナーはアナタの外側から抜きにかかってくるはずです。ですからまたインコースを開けるのです。半人分だけ。そうすると後ろのランナーはまたインコースをついてくるはずです。相手はあせっているので必ず来ます。もうゴールまでそんなに距離は残っていないですから。で、またふたをする。
 この「インコースを開けてふたをする」を二回も繰り返せばコーナーは終わり直線に入るはずです。
 さあ、ゴールは目前です。目の前に誰もいない純白のゴールテープが光り輝いているというアナタにとって見慣れない光景を目の当たりにするはずです。
 しかし、ここで油断は禁物です。最後のつめがまっています。
 直線に入ったらゴールに向かって一人分だけアウトコースへずれながら走ってください。
 はい、後ろのランナーの走路を妨害するのです。ただしあまり露骨にやらないようにしてくださいね。
 あとはゴールテープを胸で切るだけです。他人からの賞賛は得られませんが、思惑通りにレースを進めて勝った充実感に心の中が満たされるはずです。

 いかがでしたでしょうか徒競走必勝法。えっ? こんな卑怯な手を使ってまで勝ちたくない?
 そういう方はこれから練習して正々堂々と勝負してください。シーズンまで後三ヶ月ありますから。
 ちなみにこの必勝法、私は実践しております。
 結果はゴール前で胸ひとつ抜かれて二位でした……。


タイムカプセル

 私は小学生の時(六十年代後半だったと思う)にタイムカプセルを埋めたことがある。学習誌に掲載されていた、大阪万国博覧会の記事に触発されたためだ。当時の会場にタイムカプセルを二つ埋め、三十年後と五千年後に開封するという記事だったと思う。
 三十年という歳月の、子供にとっては気の遠くなる将来に、私は軽い目眩を覚え、五千年という無限にも思える未来に、戦慄した。
「すごい! タイムカプセルってかっこいい!」
 まだ夢見る可愛らしい(当社比)少年で、当然のように髭もない私は、深い感動に全身を包まれた。
「ボクもタイムカプセルを埋めよう!」
 行動力のあった(当社比)私は、思ったらすぐに実行した。
 母にいらなくなった煎餅用のブリキの箱(ガンガンと呼称していた)をもらい、部屋に閉じこもりタイムカプセルへ入れる品物の選定にかかった。
 だが、いざとなると迷った。玩具やプラモデルはカサがあるので入らない。かといって怪獣ブロマイドや怪獣トランプはとてももったいなくて入れられなかった。
 私は考えた末に紙に書いたメッセージを入れることにした。これならカサもなく、惜しくもなく、タダだからだ。
 メッセージと言っても未来の人々に向けたものではなく、自分に対してのものだ。
 西洋紙にメッセージを書き終わった私は、それを小さく折りたたみ、ビニール袋に包んだ。それをガンガンの中に丁重にしまい込み、フタをして、セロテープで何重にも巻いて厳重に密封した。
 物置からスコップを持ちだし、庭に穴を掘る。
 適当な深さになったところで、捧げ持ったタイムカプセルを、穴の底にうやうやしく置いた。
 あとは土をかぶせて、目印の石を置いてできあがりである。
 ちなみにタイムカプセルの開封は十年後に決めた。三十年なんて、とても待っていられなかったからだ。十年だって、それまで生きてきた人生と同じ年月なのだ。とてつもなく長い。それに国家的行事ではなく私的な行為だったので、妥協しておいた。

 その夜、私は眠れなかった。
 十年後……二十歳のボクはいったいどうなっているのだろう? かっこいいオトナになっているかな? どんな仕事をしているのだろう? それよりなによりタイムカプセルのメッセージを読んだら、ボクはどんな顔をするんだろう?
 布団の中であれこれと期待や想像に胸をふくらませて、身もだえていたのだが、ふいに不安が頭をもたげてきた。
 もし、タイムカプセルを誰かに盗まれたらどうしよう……。
 そう考えた私は、寝ていたが、いても立ってもいられなくなった。だけど暗闇は、お化けが出ると怖いので、確認するのは明日の朝にすることにした。

 翌朝、目を覚ますなり、私はパジャマのままで庭へ駆けた。
 タイムカプセルの位置を示す石は、昨日と同じ場所に同じように鎮座していた。それを確認した私はホッとしたものである。
 だが、学校で授業を受けているうちに、心配の虫が頭をもたげてきた。
 雨が降ったらどうしよう……。いや、土中の水分が中にしみこんだら……。
 ガンガンにはテープをきっちり巻いてあるはずだった。
 ホントか? どこかに隙間でもあるんじゃないか?
 私は椅子に腰かけていたが、やっぱり、いても立ってもいられなくなった。
 学校が終わるのももどかしく、家に駆けつけた私は、物置からスコップを引っ張り出し、タイムカプセルを埋めた場所を掘り返した。
 ガンガンは無事であった。だが、中の手紙が心配だったので、テープをはがしてフタを取った。
 手紙も無事だった。
 ここまでやって、私はバカらしくなってきた。こんな調子で毎日こんな事を繰り返さなければならないなんて、やっていられない。身が持たない。というか精神的にきつい。
 それに、すごい矛盾に気がついたのだ。
 埋めたメッセージで、未来の自分を感動させるためには、現在の自分がタイムカプセルの存在を忘れてしまわなければならないのだが、忘れてしまうとタイムカプセルを掘り出せなくなる……。
 私はタイムカプセルを埋め戻すことをやめた。

 ちなみにメッセージの内容は今でも覚えている。
 だいたいこんな感じだ。


 未来のぼくへ

 じえいたいの、しだん長になってますか?
 およめさんは、美人ですか?
 ちょ金は、百万円たまりましたか?


 十歳のオレよ──スマン……。


演技について

 舞台と映画には幾つかの出演経験があるので、今回は演技について書かせていただく。ちなみにわずかではあるがアフレコをやったこともある。
 初めて板を踏んだ時には、幕が開いた瞬間に、最初の台詞をとちった。というか絶句した。
 その時、登場人物は私だけだった。
 照明を浴びる舞台から見ると、暗い観客席は全く見えない。さらには初舞台に緊張していたせいもあるし、私が近視なせいもあるだろう。とにかく観客席は見えなかった。その見えない観客席からの視線を感じた時、私の頭の中は真っ白になった。
 舞台の袖から仲間が台詞を教えてくれなければ、そのまま立ちつくしていただろう。
 懐かしいが、悔いの残る出来事だ。

 映画は数本に出演している。こんな私に知り合いが声をかけてくれたのだ。
 だが、最後まで慣れなかった。
 演技が分からなかった。役作りがどうしてもできなかった。監督の演技指導に応えられなかった。
 出演した映画が上映された時、自分の棒立ちぶりに、私は声を失い、絶望した。

 演技は難しい。
 台詞を喋っている時はまだしも何とかなるのだが、台詞のない時が難しい。
 何をしていいのか分からない。
 私は懊悩し、結局は俳優としての道を断念して、アニメーション演出としての道を選んだ。
 私の若い頃の苦い思い出である。
 ちなみに初舞台は、小学生の時の文化祭で、映画は学生時代の8ミリ映画だ。

 舞台の芝居は演じ終わったら観客の記憶にしか残らないが、映画はフィルムとして物理的に残る。もし、あの8ミリ映画が不特定多数の前にさらされるのなら、私はさらした奴を殺してから首を吊るだろう。
 映画は怖い。
 演技は難しい。

 アフレコは実際に放送された作品で行っている。
 タイトルは『ぼのぼの』『HappyWorld!』『D.C.ダ・カーポ』の三本だ。
 もっともガヤですが。
 男性出演者が少ないのでやりました。というか、やらされました。
 ガヤというのは、その他大勢でガヤガヤやっているやつです。だから私を知っている人にも私の声を聞き分けることはできません。
 ちなみに『ぼのぼの』では歌を歌っています。しまっちゃうおじさんのバックコーラスを大勢で。
 余談だが、このコーラスには大畑清隆氏、佐藤竜雄氏が参加しております。


21世紀について

 しばらくぶりのスペースシャトル打ち上げが近づいているそうである。
 1969年のアポロ11号による人類初の月着陸の時には、二十世紀中の火星着陸はかたいと思っていたが、未だにその気配がない。
 二十一世紀になればひょいひょいと月旅行に行けると思っていたが、それも無理。
 なんだかなあ。アンドロイドがいるわけでもなし。当時の少年である私はがっかりである。
 念願だった二十一世紀で暮らしてはいるが、「ああ、二十一世紀だなあ」と感じるのは、携帯電話とパソコンくらいだ。
 二十一世紀になって一番驚いたのが、未だに畳の部屋で暮らしていることだな。松本零児は正しかったのだ。
 それと、まさか電子頭脳でエロ画像を見るようになるなんて(※注1)、当時の少年の誰も思わなかったよなあ。

※注1――私は見ません。すいません。少ししか見ません。ホントです、ほんの少しです。


楽器の演奏について

 かなり前にギター演奏に手を出したことがある。女の子にもてたかったからだ。健康な男子たるものごく当たり前の理由だと思う。
 ある飲み会の時に、友人の一人がギターを手にして弾き語った。それを周りの女の子が神妙に聞き入っている。これだと私は思った。さっそくその友人に教えを請うた。
 古いギターをもらって練習した。曲名は「結婚しようよ」だった。友人にコード進行が楽だと言われたのだ。彼も最初はこの曲で練習したという。
 だが私には弾けなかった。コードの「F」が押さえられないのだ。左手人差し指で弦を五本押さえなければならないのだが、どうしても指が伸びないのだ。
 一ヶ月後、ギターは押入で埃をかぶることになった。
 他に私にも演奏できる楽器がないのだろうかと考えた。
 ピアノは場所をとるし、ドラムは持ち歩けない。木琴はなんか嫌だ。カスタネットとトライアングルは論外。笑いをとるなら別だが。
 私は楽器を演奏することをあきらめた。
 しばらくはそんな状態だったのだが、最近ではサックスに興味を持っている。SWING GIRLS を観たせいだ。肺活量には自身がある。だが吹き語りができないので迷っている。


丸い空

 ふと、過去の記憶が甦ることがある。
 それは幼い私が丸い空を見上げて泣いている記憶だった。
 なぜ丸いのかというと、空の周りが暗いもので囲われて縁取られているからである。それが何なのかは全く分からない。
 私が丸い空を見上げながら泣いていると、縁から大人の手が伸びてきた。記憶はそこまでで終わりである。
 いったいこの記憶は何なのだろうと考えたが、これ以上は何も思い出せなかった。
 ある年の年末に帰郷した際、この記憶をふと思い出し、母に聞いてみた。
 母は私の説明を聞くと、「ああ」とうなずき、
「その伸びてきた手はわたしの手。あんたが幼稚園の時に裏の畑で遊んでいて、肥溜めに落ちたのを私が助けたんだよ」


フレンチ・コネクション2を観て

 高校生の頃、駅前始発のバスに乗ろうとしたところ目の前でドアを閉められてしまった。運転手の悪意に頭に来てしまったオレは出て行ったバスを走って追いかけ始めた。バスをとっ捕まえて運転手に文句のひとつも言ってやろうと思ったのだ。だが、次の停留所で捕まえるのに失敗。しょうがないのでそのまま追跡。次の停留所でも追いつかず、ひたすら追いかける。そのうち運ちゃんに文句を言うのはどうでもよくなり、バスを抜くことだけを考え始める。そのまま追って追って追いまくり、走ること約20分。とうとう自宅近くの停留所でバスを追い抜いた。その瞬間、勝ったと思った。誰にじゃ。駅からは5km走っていた。アホや。

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